越前和紙

越前和紙和紙の最大産地

福井の伝統工芸越前和紙
越前和紙

福井県にある越前市は一大和紙の産地です。古代より紙すきの技術を伝授された特別な地域として、和紙づくりを大切に守りつづけてきました。植物の皮を原料にして漉いた和紙は、やわらかく温かみがあり、それでいて公用の免状にもつかわれるほど高品質なものです。山間に存在する地には綺麗な湧水が流れ紙に必要な綺麗で冷たい水が渾々と湧き出す産地です。その歴史は1500年前からと同じ福井の越前漆器とならび伝統工芸の世界では一番古い部類に入ります。1976年に経済産業大臣より国の伝統的工芸品に指定されました。そんな越前和紙の里には日本で唯一、紙の神様をまつる神社があります。建物自体もも歴史的遺産に登録されるなど造形美があります。

福井伝統工芸越前和紙
越前和紙 NHK動画

紙の神様・岡太(おかもと)神社のはじまり

越前和紙の歴史は古く、古墳時代にさかのぼります。奈良の正倉院に収蔵されている西暦730年の戸籍「越前国大税帳断簡」に、越前和紙の品質についての記述があります。そこには雁皮(がんぴ)という植物をつかって、「溜め漉き(ためすき)」の技法で漉いた紙について書かれていました。越前では、このころから高度な紙漉きの技術を持っていたことがわかります。日本で唯一の「紙の神様」をおまつりする神社。今から1500年程前、越前五箇という地区を流れる岡太川の上流に、一人の美しい女性が現れたという。その女性は村人に紙の漉き方を教えられた。村人たちはたいそう感謝し女性に名前を尋ねると、「川上に住む者です」と答えたため「川上御前(かわかみごぜん)」と呼んで崇めた。川上御前は、万物を産み出し育てる水の神様とも言われ、子育ての神とも信仰されたそう。そんな川上御前をおまつりしたのが「岡太(おかもと)神社」のはじまりだ。

仏教の広まりと越前和紙

岡太神社

こうして産まれた紙の神様が信仰を集めていった背景には、紙の需要増があった。仏教の普及により写経用紙の需要が急増。また701年には大宝律令制度がはじまり、国は戸籍などの記録のため大量の紙を必要とした。質の高い越前和紙は重宝され全国へ送られていったそう。ちなみに正倉院には、730年に越前和紙に書かれた資料が保管されている。古代から高品質だった越前和紙は、奈良時代には仏教の写経につかわれ、平安時代には女流作家の文学に、武家社会では公用の奉書として愛用されました。江戸時代の福井藩札や明治時代の紙幣など、お札のはじまりにも大きく貢献。また美術工芸紙としても有名で、なめらかで丈夫なことから、浮世絵などの版画や絵画にも重宝されました。近代ではオランダの画家レンブラントや日本画家の横山大観、平山郁夫も越前和紙をこよなく愛していたのです。

建築技術の限界に挑んだ社殿

決してメジャーな神社ではなかった岡本・大瀧神社がいま密かに注目を集めているようだ。その理由の一つが、他に類を見ない社殿建築だ。江戸時代後期の天保14年(1843年)に再建された下宮の社殿は、技術の限界に挑んだかのような精巧な作りが迫力をはなち、国の重要文化財にも指定されている。



(出典)
神社専用メディア 奥宮

岡本神社

多種多様な越前和紙の特徴

越前和紙の特徴は、植物の皮の繊維をつかって紙を漉く技術と、種類の豊富さです。楮(コウゾ)、三椏(ミツマタ)、雁皮(ガンピ)が主に使われます。楮、三椏、雁皮から作る越前和紙の製造工程は、まず皮の量を計り約10時間ほど地元で流れる水に浸します。大きな釜に苛性ソーダやソーダ灰を入れ原料をぐつぐつと煮沸し、ほぐします。ほぐすことで樹皮に含まれた脂肪やタンニンなどの不純物を溶かし出し紙になる準備をします。煮沸が終わった後は材料を水洗いして不純物やゴミを取り除きます。この工程をチリ取りといい丁寧に根気よくおこなうことが、白く上質な紙とされます。

つぎは我々がよく目にする「紙漉き」という工程にうつります。お風呂みたいな漉槽(すきぶね)といわれる船に先ほどの紙の原料を散らしてトロロアオイといった「練り」を入れて混ぜ、練り混ぜます。ネリは原材料を下に沈殿しないように水中に材料を満遍なく浮遊させる効力があります。

漉いた紙は圧搾して水分を取ります。はさんでいた糸を取り、1枚ずつはがしていきます。それを室(むろ)に入れて乾燥。乾いたら裏表を調べて選別していきます。さいごに「ロール掛け」と呼ばれるツヤ出しをしたら裁断して完成です。